謝るという行為に人の本質が出る

最近は謝るという機会が増えてきました。

自分自身のミスに対して謝るということは比較的減ってきましたが、

その代わり、誰かのミスを代わりに謝る事が増えたんです。

 

1つの仕事をグループでやったとき、その責任者という事で、

ミスが発生した場合は社内外へ頭を下げるようになりました。

 

「謝る」という事は、出来るなら誰もしたくない行為です。

それが自分以外のミスで代わりに謝らなければならないとしたら尚更です。

 

でも、それが上に行く、という事だと学んでいる最中です。

 

言葉は悪いですが、立場が下になればなるほど、謝らなくても

良いポジションだと思っています。いや、実際にそうだと実感しています。

謝らなくてもいいどころから、「自分は悪くない!」と言ってもある意味

許されます。(正確には、許されてるのではなく、呆れられてる)

 

上に行けば行くほど、頭を下げる機会が増え、誰かのせいに出来なくなります。

下に行けば行くほど、頭を下げなくてもよく、誰かのせいにしていてもよくなります。

 

最近思うのは、人の上に立つというのは、人の前に立つというのは、謝る覚悟を

背負う事なんだな、という事です。

 

謝る事について考えるようになってから、面白い事に気が付きました。

それは、仕事が出来る人ほど、謝り方がかっこいい、という事です。

謝罪の言葉をはっきりと述べ、しっかりと頭を下げ、言い訳をしません。

 

逆に、仕事が出来ない人の謝り方はダサいです。

おどおどして、中途半端に頭を下げ、一言二言、言い訳のような言葉を

ごにょごにょと口にします。

 

酷いと、「でもそっちだって・・・」と自分を守る事を優先する人もいます。

こういう人からはどんどん人が離れていきます。

本質的に、人の事を考えられない、いざとなれば自分を守る為に人を貶めると

わかるからです。

 

上司の謝る場面を何度も見てきました。

他の人がどう思っているか知りませんが、その謝っている姿を見て、かっこ悪いと

思った事は一度もありません。

こんな頭の下げ方が出来る男になりたいと思いました。

 

自分でも、お客さんに謝る事があります。それを見て冷やかす人もいます。

でも、冷やかされても落ち込んだり、ムカッときたりすることは全くありません。

むしろ、可哀そうだなと思います。

 

謝る姿を冷やかす人は、謝るという事の美学を知らない。

そして、冷やかす人は、必ずといって良いほど、自分が悪くても謝らない人、

そして謝り方がダサい人だと知っています。

 

謝れる人は、謝る姿を決して冷やかしません。

謝るという事の重さを理解しているからです。

 

この世の中の真理を1つ学びました。

 

謝れる人は、上に行ける人。

謝れない人は、下に追いやられる人。

 

あなたはかっこいい謝り方が出来ていますか?